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待望久しかった十和田湖は、昭和一一年二月一日ようやく第三次に富士箱根・吉野・大山とともに晴れて指定
を受けることとなった。鹿角時報は二月一一日付で「神秘幽すゐの十和田湖/国立公園に指定さる」の見出しで
次のような歓喜の記事を飾った。
付望幾年、我等の十和田湖は茲に芽出度国立公園の栄冠を荷ひ、我国に於ける最高至上の名誉を獲得するに至った。時恰
も積雪厳寒交通杜絶の節なるをもってこの歓喜をいだいて神韻渺たる湖畔に祝杯を挙げること叶はないのであるが、齋し
く郡民として関心を十和田湖風景の上に致すものにとっては手の舞ふところ、足の踏む所を知らぬ喜びであらねばならぬ。
しかし宿願の八幡平包含指定は、さらに将来へもち越されることになった。
二、大湯温泉
十和田とともに
明治四〇年代に入ると十和田湖遊覧者が目立ちはじめ、その探勝基地として大湯温泉がし
たいに脚光をあびるようになってきた。大正三年七月三日付秋田魁新報は、大湯は古来著
名の温泉場であったが設備不完全のため振わなかった。近来十和田湖の名が天下に周知されてきたのと、小坂鉱
山水力発電所四カ所と不老倉鉱山の開発に加え、十和田湖に達する道路が県道に編入され、毛馬内大湯間が「敷
き砂利已に沈下して恰も砥石の如く自転車にして十四五分にて達する有様」となり、十和田湖の遊覧者と浴客は
旧来の土地の人だけでなく他郡、他府県からも増加したと報じている。また同紙は、旅館等を紹介し、上の湯に
千葉旅館、下の湯に亀屋旅館、川原の湯に高島旅館、荒瀬の湯に小坂鉱山大湯倶楽部、下の湯には諏訪、一方井