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た。
ばれる温泉群には噴気・噴泥・噴湯などの地獄現象がみられ特に後生掛、玉川などは激しい。群生するアオモリ
ドトマツや高山植物も豊富で、乾湿両用の植生が展開され、標高一、〇〇〇メートル以上では至る所に湿原が分
布している。高山植物の数が多く珍重すべき品種に富むことは、昭和二年一帯を踏査した植物学の牧野富太郎博
士によって明らかにされ、二六〇余種の植物の中でとりわけ頂上付近お花畑で発見された一株二茎のヒナザクラ
は世界的と評された。
八幡平山系に温泉の湧き出ていることは地元の人々に知られ、かなり早くから湯治客が小屋をかけていたとい
われるが、その後明治年代の硫黄鉱山の開発によって人の往来が多くなり、口伝えにより広範囲に知れ渡っていっ
明治三九年頃、花輪の宮城佐次郎(
七頃、花輪の宮城佐次郎(杉)がたまたま蒸の湯に湯治した折、付近一帯を踏査して八幡平高原の絶
杉
景に感嘆し、それを文筆で紹介したのが八幡平が世に知られる端緒といわれている。温泉地として地元新聞など
に登場してくるのは大正に入ってからで、同四年の秋田魁新報には湯瀬温泉と共に蒸の湯温泉・赤川温泉・銭川
温泉が紹介されている。同一三年秋田魁新報の「納涼景勝地紹介」懸賞募集に川村薫の「夏なほ寒き八幡平の絶
景」が当選、全文が掲載された。
昭和に入ると、国立公園候補地として脚光を浴びた十和田湖とともに、八幡平もまた世に知られていくように
なった。八幡平の顕勝を念願する地元有力者たちの努力によって、十和田から八幡平・田沢までの縦走観光ルー
トに足を運ぶ著名人が次第にふえてきたのである。
開発初期のころは「奥羽アルプスの秘境八幡平」がキャッチフレーズとして使われ、この形容は昭和九年まで