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続いた。

八幡平王阿部藤助

阿部藤助は大正三年二八才の若さで宮川村村長に就任、その一生

昭和三年没

四三歳

)を郷土の

発展に捧げたが、なかでも八幡平観光開発にのこした功績は大きい。

た。

八幡平の観光コースは、当時谷内から坂比平-蒸の湯-頂上-後生掛-又一-鹿湯(玉川)と探勝するのが

般的で、その行程はすべて徒歩のため二泊か三泊を必要とした。その旅の出発点あるいは帰着点は谷内がもっぱ

らで、谷内とは阿部藤助宅のことであった。登山客はまず谷内の藤助宅で山入りの旅装を整えたのち、山へ向かっ

例えば大正六年八月、秋田鉱山専門学校一行は毛馬内駅から馬車で宮川村の阿部村長宅まで向かい、「種ゟ

御馳走をなし且つ道案内及び荷物負の手伝者として阿部定吉、同重次郎の両氏を蒸の湯まで遣はして下さった」

秋田魁、大六

・八・一三付

一とし、同一〇年九月鹿南焼山巡り隊一九名には「本隊の先登は宮川村長阿部藤助」で、この一行

が登山後の散会地点は谷内であった。また同一五年秋田山林会主催の山岳登山旅行団二四名も花輪駅から自動車

に分乗して出発点の谷内に集合し、「大槻校長夫妻、村長夫妻などが先頭となり名物の盆踊り」の歓迎をうける

等々である。

阿部藤助所有の蒸の湯温泉はいわゆるオンドル式の地熱に特徴があり、岩手・秋田・青森に加えて北海道から

毎年三~四〇〇人の湯治客があった。しかもこれらの人々は毎年時期を定めて湯治する常連客であり、日用雑貨

昭和

品は市価より安く什器類を借りての一日当り湯治費用が一三銭

は驚く程の廉価であった。その蒸の湯温

四年

泉には名物の金勢大明神が鎮座し、夏は毎晩各地の民謡合戦や盆踊りが繰り広げられる賑わいを呈していた