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と社告に載ったこの登山隊について、秋田魁新報までが「奥羽アルプス八幡平を四五名の踏破隊」の見出しで同

行の取材記事を連載した。同四年には東京朝日新聞が八幡平踏破記者団を派遣、鹿角時報社は第二回踏破団体を

主催、翌五年はその第三回を企画し実施した。

花輪営林署は冬季スキー登山の案内役として観光に貢献していたが、陸中花輪駅も同六年駅長等で八幡平・蒸

の湯の宣伝のため、大館・早口・二ッ井・能代・岩館・深浦・鰺ケ沢・五所川原・弘前・大鰐と車二台で宣伝ビ

ラ一万枚を撒いたり(

鹿角時報、昭六

・六・一五付

同八年旅行スタンプに八幡平の蒸の湯を図案化して駅に備えつけた。

同八年夏、大阪毎日新聞社発行の『サンデー毎日』が日本一二秘勝紹介文を募集、鹿角時報社川村薫の応募し

た「奥羽高原八幡平」の一文が関東東北代表として入選、写真地図入り全文が同紙に掲載されたが、これが八幡

平の景観を全国に宣伝した最初であった。

その年、宮川村長阿部貞吉を会長とする八幡平顕勝会が組織され、国立公園関係者の八幡平招聘を計画した

その運動の中で九年来訪した、朝日新聞社記者の杉村楚人冠の落馬事件が起きるが、地元からすれば禍転じて福

となるで、楚人冠執筆の八幡平宣伝紹介文が豪華な写真付きでアサヒグラフ紙に八回連続で掲載された。また九

年一二月八幡平スキーガイド倶楽部が発会し、阿部貞吉村長を会長に、副会長大槻恵蔵ほか阿部季三、阿部嘉兵

衛、阿部真平、畠山正三郎、畠山申松、栗木健次郎らが名を連ね、スキー客の案内人となって活動した。

国立公園候補地

国立公園候補地の十和田湖に、八幡平などを包含させる運動が具体化するのは昭和七年か

っであった。大湯温泉、湯瀬温泉、八幡平、田沢湖がその要望区域である。同年一一月一

○日花輪町村山貞治が世話役となり、関直右衛門、関善次郎、浅利佐助花輪町長、阿部貞吉宮川村長、渡部繁雄

○日花輪町村山貞治が世話役となり、関直右衛門、関善次郎、浅利佐助花輪町長、阿部貞吉宮川村長、渡部繁雄