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昭和六年に至って盛岡・大館間の鉄道が全通し、湯瀬駅、小豆沢駅と開業するのを見た直右衛門は、山間僻村
の故郷湯瀬が十和田・八幡平観光の拠点として、無比の立地条件を備えていることに着目、同時に母堂の願いで
あった「鹿角一のはたごや」を実現すべく、それまでの関直旅館から東北一の施設をめざす湯瀬ホテル建設に踏
切った。
同七年の第一期工事は木造二階建本館の東館を竣工して九月開業、翌八年には第二期工事を起こし本館西館大
広間三階建を七月に竣工した。第三期工事は米代川に架かる渡り廊下でつないだ別館で、同一〇年九月に落成し
た。一二年には新館を完成した。
このホテル建設と平行して七年、玉川温泉(鹿湯)の権利を角館町の陶光謙より買収し、八年には玉川温泉の
第一期工事を行なうという勢いであった。
五代直右衛門の構想は、青森より八甲田-蔦温泉-国立公園十和田湖-湯瀬温泉-八幡平-玉川温泉-田沢湖
-抱返の景勝を結ぶ一大観光路の完成であった。八幡平を国立公園区域に編入させたいとの願望は殊の外強く、
組織された秋田県観光協会の八幡平支部長に就任ののち、本田博士、田村剛博士らの国立公園審議委員メンバー
を招聘して実地踏査を願い、また児玉政介、下村海南、杉村楚人冠らの特別な支援を得ながら、上京すれば必ず
厚生省、国立公園委員、日本風景協会等への陳情を繰返し、関係の名士を春秋二回山水楼などに招いて懇親会を
開き八幡平の紹介宣伝に努めたのである。
当時、県道花輪角館線は名ばかりの道路で、天然記念物北投石の産地でもある鹿湯を経て田沢湖への縦走は
坂比平までの自動車の運行は可能であったが、その先の山道については整備の見込みも立っていなかった。直右