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写真で八幡平を紹介したのは尾去沢の小笠原貞吉で、絶勝八幡平や高山植物、泥火山等の撮影は学術的にも高
く評価され、初期の絵はがき作製等も担当した。
鹿角タイムス社の阿部真平も山にあって登山者の便をはかり高山植物の紹介につとめていた。大正一四年から
昭和七年まで蒸の湯温泉支配人となり、その後玉川温泉に格別の傾倒をして『世界の奇蹟・玉川温泉』を著わし
ている。
ほかに渋谷忠助や阿部末蔵、山本徳太郎など登山者の便宜を図り、八幡平の宣伝に寄与した人々の名もまた不
朽であらねばならない。
観光鹿角の看板
わが国の代表的な火山景観として八幡平は、十和田湖の国立公園指定後も、候補地として
毎年のように国立公園委員・観光協会等の調査官が実地調査に来山した。その都度湯瀬ホ
アルでの報告会においてはいずれも雄大なる景色を激賞し、自然科学の宝庫であると礼讃し直ちに決定されるよ
うな印象を与えて帰京するので、地元の期待は今度こそはと膨らむのであった。しかしその後は何の音沙汰もな
くまさに万年候補として経過した。
昭和二六年になって、玉川温泉への定期バスが運行を開始し、登山者の数はいっきに増加した。翌二七年三月
冬山を愛好されたスキーの宮様高松宮殿下が蒸の湯の新設ヒュッテに二泊され「くまげら山荘」と命名された。
同二九年国立公園審議会は八幡平の国立公園指定を厚生省に答申したが、これを不服とする県と地元団体は国
立公園十和田湖への猛烈な編入運動を展開し、ついに三一年五月審議会で編入承認を答申、七月一〇日名称を十
和田八幡平国立公園に改め、官報へ告示された。十和田湖の指定からまる二〇年後の念願達成であった。現地で