テキストを表示

一、教育の国家統制

その背景

大正自由教育には、何よりもまずこの時代の世相が、色濃く背景をなしていた。日露戦争講和

木約の締結後、第一次世界大戦にいたる日本には、諸々の社会不安が充満していた。

最初に象徴的な出来事となったのは、ポーツマス講和条約に憤激した群集が、日比谷公園における屈辱講和〓

対国民大会ののち街頭デモに移り、警官隊と衝突し暴動化したことであった。この暴動で警察署二、同分署九

〓出所・交番二五八、市電十数台、教会一三が焼打ちされ、いわゆる日比谷の焼打事件となった。政府は戒厳令

を発動したが暴動はなかなか終息せず、二カ月半も戒厳令を解くことが出来なかった。

ここで注目させられるのは、暴動参加者が下層の一般民衆だったことである。暴動で検挙、予審裁判に付され

に者三一一名、うち都市雑業者一〇八、職人六七、職工四一、小売商人三二と、圧倒的に下層大衆が多い。これ