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心理学の発達により、児童中心の自働教育・自由教育を主張し、実験研究するものであった。
うした中で新教育の実践をめざして誕生したのが、沢柳政太郎の成城学園である。成城小学校は一学級の定
貝を三〇名とするなどやや理想主義にすぎ貴族的でもあったので、幼等部幹事だった小原国芳が庶民のための新
教育を目ざして玉川学園をおこし、また赤井米吉は明星学園をおこして独立した。
八大教育思潮
タルトンプランやプロジェクトメソッドが直輸入され、各地でその実践校が見られるように
〓った。これにともなって世界の新教育思想家が相ついで来日した。大正一三年ダルトンプ
フンの創始者ヘレン・パーカストが、昭和二年にはキルパトリック、同六年にはウィネトカシステムの創始者ウォ
シュバーンが来朝し、授業は浅草富士小学校訓導奈良靖規が提供した。
当初は欧米新教育思想を拠り所としていた日本の教育界も、次第にこれを消化して新しい主張・実践を展開す
るようになった。大正一〇年の夏、教育学術界主幹尼子止はこれらの新教育主張者を一堂に集めて教育講演会を
開催した。これは八大教育思潮と呼ばれ、東京高等師範学校の講堂(定員二、〇〇〇名)に連日五、五〇〇名の
参集があり、正に立錐の余地もない盛況だったと言われ、いかに全国が新教育に沸きたったかを窺い知ること
できる。
この八大教育思潮の第一に、東京高等師範学校の樋口長市の自学主義の教育法がある。この主張は、明治の教
育は児童の首に綱をつけて無理やりに国定の課程を押しつける、型にはめこむ順応教育だと批判し、これからの
教育は独創性のある人間を育成し、独自の文化を開拓すべきだと論じている。なお、馬を水辺に連れてくること
はできるが、水を飲む飲まないは馬の自由意志であるという有名な言葉は、この時のものである