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結として分団教授でなければならないと主張した。著書に『動的分団式教育論』があり、明石師範学校附属小学

校で実践を行なった

第七は小原国芳の全人教育論である。小原は『全人教育論』で自分は何々主義ということを採らず、「真善〓

聖」の全人格の育成を目的とし、「教育は結局自己開拓であり自己の深化にある」と独特の経営をして注目され、

学園を総合大学として今日の様な一大私学に発展させた。

第八は片山伸の『文芸教育論』

大正

一一年

である。片山は文芸こそは人間の真実を吐露した唯一のものである

とし、この真実にふれさせて教育すべきであるとしている。これは単に文学に限らず絵画・音楽・舞踊・演劇等

すべての芸術に表現されている人間の真実を指し、その真実にふれ自らも生活の現実を直視し、真実をもって対

処する教育をねらっている。

斤山の文芸教育論は鈴木三重吉の赤い鳥運動に発展し、本郡でも赤坂文弥ら信奉者が多かった。そしてさら〓

芦田恵之助の同志同行論につながり、本郡国語教育の主流となり、遠藤正男の実践によって読売新聞社の児童作

又コンクールで日本一の作品として実を結んでいる。また赤い鳥の亜流ともいうべき位置に北方教育があった。

『美の教育』と赤い鳥

美の教育』は、大正一三年九月創刊の、奈良靖規が主宰した研究と報告の季刊雑誌

ごある。内容は図画、唱歌、綴方、童謡、手工、劇に関したものが主で、創刊の言葉

には表現科一般の改革をはかると述べているが、特に図画と音楽関係のものが多かった

奈良靖規は大正六年秋田師範を卒業し、哲学・語学・音楽に卓抜した才能をもっていた。成章小学校在勤中、

ノメリカの図工教科書インダストリアル・アート・テキストブック八巻を翻訳し、またジョンソン著『児童の歌