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〓のため、自力更生運動の一環として発生し、展開されたものである。この頃ドイツに起こった郷土教育論が日

本に導入され、昭和六年に奈良女子高等師範学校小川正行教授が『郷土の本質と郷土教育』を著してから、「〓

土による郷土まで」と教育の本質観に立った方法原理としての郷土教育が全国に広まった。

これは直観教育、労作教育、合科教育との関連、全人陶冶の方面から郷土教育の重要性を強調したもので、文

部省も昭和五年に各師範学校へ補助金を交付して郷土研究を助成した。

県では同五年県出身の小田内通敏を招き、県内を巡回の上各所で郷土教育講習を実施した。この時小田内は毛

馬内小学校の郷土室経営を高く評価し、優秀校として推奨している。また当時の秋田師範学校長和田喜八郎は

郷土教育に深い理解を示し、小田内の指導をうけて郷土研究に当たり、昭和八年『綜合郷土研究秋田県』の大菩

を完成した。

またこの頃、秋田師範学校に郷土教育連盟尾高豊作が招かれ講演している。この講演会で、柴平出身の佐藤与

が「鹿角の年中行事と自然景観文化」という題で発表を行なっている。尾高はこれに大変興味を示し、整理し

て出版することを奨めた。専攻科を卒業した佐藤は毛馬内小学校在職中、この原稿を若干修正して『山の國・鹿

用の里』として東京千秋社から出版した。六〇数ページの小冊子を東京で出版できたのは、当時郷土教育連盟に

小坂町出身の鎌田末吉がおり、出版手続一切を引き受けてくれたからである。この書は大変好評で、多くの人々

に愛読され、鹿角郷土教育の先駆となった。

佐藤はこのほか『鹿角郷土地理』『柴平村誌』を著わし、また高橋克三編の『毛馬内郷土読本』等の郷土研究

書も実質的には佐藤の執筆である。