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会の事務担当者に高橋克三、基金管理者に内藤練八郎が推され、大正五年から育英事業を開始したが、郡内
円を対象とするには七、〇〇〇円の基金では少し不足であった。そこで毛馬内の町内から一口五〇円の賛助金を
募り、基金一万円をもって事業を開始した。
会はその後も順調に発展し、太平洋戦争後まで毛馬内の育英に多大の貢献をなした。しかし戦後のインフレで
貨幣価値が下落し、かつ資金の提供を受けた者が死亡するなどして経営が困難となり、昭和四三年に解散して残
金は先人顕彰碑の建立にあてられた。
なおこの他、山本修太郎のような個人による育英事業もあった。
異色の慈恵私塾
た。
〓和一三年五月、秋田県教育会は毛馬内カトリック教会ウィルヘルム・プール神父を教育
功労者として表彰し、私財を投じて慈恵私塾を創設し、多くの人材を育成した功績を称え
フール神父は明治二三年一〇月ドイツに生まれ、大学で哲学と神学を学び大正一〇年一月、カトリック教会の
可祭として来日した。一三年ローゼン神父のあとを継いで毛馬内カトリック教会の神父となり、毛馬内の風土・
人情こそ教育・布教に最もふさわしい地と心に定め、鋭意毛馬内教会の布教に努力した。神父の人柄に傾倒した
高橋七郎兵衛の尽力で五軒町に建設した教会と幼稚園の発展に献身した。
神父が慈恵私塾を創設したのは昭和七年である。当時日本は満州事変、東北の大凶作で不況のどん底にあり、
平等学校進学者は激減し、進学しても途中退学を余儀なくされる者も多かった。プール神父はこんな時こそ教育
を振興し、恵まれない青少年に短期間で中等教育以上の教養を身につけさせるべきであると、私塾の創立を決意