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色実に一、二〇〇余名に及び、その中で有段者百数十名を数え、育英・社会教育においても誇り得る成果をあげ

た。

スポーツの振興

第一次世界大戦後に民主主義思想が流入すると、政府はこれを国体を危くする危険思想と

宮崎畝傍驛傳競走

右ハ紀元二千六百年奉祝第十一回

明治神宮國民、體育大會ニ

於テ優秀ナル成績ヲ顯セリ〓テ

茲ニ之ヲ表彰ス

昭和十五年十二月六日

第1図賞状

みなし、建全なる青年男女の育成を目的として青年団等の統一と系統化を図った。大正四

年内務・文部両省は青年男女の志気高揚の方法として、「青年団の指導奨励の目標に関する訓令」を発するとと

もに、教練、競技、武術、講演会を奨励事業としてあげている。本郡連合青年団長は当初の郡長から花輪青年団

長大里周蔵に代り、本格的な活動として修養講座、弁論大会、スポーツ大

会を開始した。

郡連合青年団のスポーツ大会は花輪・毛馬内を会場とし、町村対抗陸上

競技大会が開催されるようになった。各町村青年団は自町村の名誉をかけ

て練習に励み、各町村もこの大会に力を入れて相当な予算を計上し、選手

団の合宿訓練を行った。当時新しい運動用具であるスパイクが流行し、書

年達は仕事がおわるとスパイクを肩にグランドへかよった。その指導には

若い学校出の教員が当たっている。

大正四年から明治神宮造営が始まると、鹿角からの六〇名を始め全国の

昭和

青年が奉仕に参加し、鎮座祭に皇太子

から令旨を賜わって、その

天皇

記念事業が日本青年館の建設となった。同一三年神宮外苑において神宮競