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た。

また昭和のはじめ、異色の学校といわれた毛馬内工業専修学校は、毛馬内小学校訓導高橋克三の提案によって

町の教育課題解決のため、他郷へ雄飛できる技術者の養成をめざしたものであった。昭和四年、県師範学校工作

羽術担当の教諭等を講師に招聘し、これまでの農商補習学校を改め修業年限二カ年、通年制の工業専修学校が設

立された。農業や裁縫の補習学校は他町村にもよく見られたが、通年制をとった県内でも珍らしい工業の補習学

校であった。

専用校舎の小体育館を資材置場とし、毎週実習時間四〇時間、学科八時間の授業を行い、卒業生の技術は高く

評価され、県内はもちろんのこと東京・横浜方面へも多数の就職者を送り出した。この学校は町の財政上の都合

で、昭和一一年に廃校となった。

るおこの工業専修学校と関連し、毛馬内小学校高等科に課した工業科の実践も特筆すべきことであった。同校

の工業担当の竹沢英次訓導は十和田山産の白樺材を利用してスキー製作を試み、昭和三年県の展覧会で一等賞と

なった。その審査員であった師範学校工作主任出町教諭はその美事さに驚き、さっそく毛馬内小学校に出張し、

製作方法を師範学校へ導入した。やがてこの師範学校製作のスキーは天皇へ献上されることとなり、特選の材料

で白ラック仕上げに謹作され、市販スキーよりはるかに気品のあるものとなった。これは全く、竹沢訓導の創意

工夫に端を発した記録すべき出来事であった。

青年訓練所

兎一次世界大戦後のわが国教育全般にわたって検討を加えるため、大正六年政府は臨時教育会

銭を設置した。この会議の建議によって中等学校に兵式教練がとり入れられることになり、同