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五、義務教育費の国庫負担
教育費の増大
明治三三年(一九〇〇)小学校令が改正され、小学校の授業料は特別な場合を除いて「市町
第五
村立尋常小学校においては授業料を徴収することを得ず」
と規定され、義務教育は
七条
無償となった。わずかに月五銭の授業料であったが、納付できずに就学しない者が相当数いたためである。
当時小学校の経費は、授業料と学校基本財産からの収入によってまかなわれていた。しかし郡内ではわずかに
宮川村長谷川小学校がそれでまかなうことが出来ただけで、他はすべて町村の一般会計からの持ち出しであった。
これは町村財政にとって相当に重い負担となっていた。この対策として、全国的に義務教育費の国庫補助制度の
確立が要求され、政府や議会に対してしばしば請願や建議がなされていた。明治四〇年義務教育年限が六カ年に
延長され、さなきだに苦しい町村財政の最大の重圧となった。このため政府は府県費をもって市町村立小学校の
経費を積極的に補助するように措置した。しかし日露戦争後の教育の拡充に伴なって児童数は急増し、したがっ
て教員も大幅に増員され、教育費はますます肥大した。市町村費に占める教育費の割合は三〇パーセントを越え
るようになり、鹿角では軒並四〇パーセントを越えていた。
こうした状態から脱却するため抜本的措置を講ずる運動が起こり、大正六年七月小学校教員国庫補助法が提案
され、一一月臨時教育審議会は現行教育制度の改善策として次の答申書を提出した。
①市町村立小学校教員俸給は国庫支出とし、その金額は俸給の半額に達するようにすること。
②国庫支出を分配・支給するには最も有効な方法によること。