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なお希望事項として、市町村立小学校教員俸給の国庫および市町村連帯支弁方法を実施するについて、政府は

教員の増給を行うと同時に市町村の負担を軽減するよう地方の財政および税制を整備し、校舎の設備その他努め

て冗費を節約すること、と述べている。

この答申によって大正七年四月、市町村義務教育費国庫負担法が施行されることとなった。この法律は義務教

育を市町村のみの責任とせず、国の重要政策として責任の所在を明確にしたもので、日本の教育制度にとって価

期的な改善であった。

苦しかった教員生活

弟一次世界大戦後の日本は未曽有の好景気となったがそれに伴って物価も急騰し、俸

給があまり改善されない教員の生活は苦しいものであった。

秋田県の場合、大正三年の本科正教員の俸給は平均二一円で、当時米価は一俵六円四〇銭、かろうじて生活が

できる程度であった。しかるに大正六年米価は一三円と二倍になり、さらに同七年シベリア出兵があり米の買占

めなどで米価は急騰、富山県魚津町で米騒動が起こり全国に波及した。また世界経済が大恐慌に見舞われると口

本の経済も大混乱となり、農産物価格の下落で農村は疲弊したので教員の救済まで手がまわらなかった。市町村

義務教育費国庫負担法の実施によって本県には一五万四、六〇〇円余が配分され、国の標準に充たない貧弱町村

にはさらに増配された。

同七年四月秋田県知事は市町村長に対し「義務教育の改善振興を策する途、素より一にして足らずと雖要は直

接薫陶の任に当る小学校教員其の人を得るに在り。今や国事益々滋く、国帑益々多きを要するの秋に方り、国庫

が特に小学校教員俸給の一部を負担する所以のものは、実に小学校教員の待遇を改善し其の人格、識見、技能を