テキストを表示
これより先、県へ寄附となる四、〇〇〇坪の女学校敷地を何処に決定すべきかについて、議員協議会が開かれ
候補地として六日町裏、馬場、舟場の三カ所をあげて審議したが容易に決まらず、開校後も町会において難航が
続いた。建設委員として田中伝吉、関威、工藤治六、大里周蔵、関善次郎、奈良忠男、西村忠次郎が挙げられた
が、民政系委員は第一候補に馬場、第二候補に舟場を主張し、政友系では六日町を譲らず対立した。のち曲折を
経、三年一一月町会においてようやく舟場道裏四、六〇〇坪を決定した。
四年八月、花輪高女敷地の地均し工事はほぼ完了したものの、寄附金予定額四万円についての応募見込は未だ
に立たず、町当局の苦慮するところであった。その裏面には前回県会議員選挙における違反騒ぎのしこりや、政
手的な反目嫉視が複雑にからむとされるなかで、村山
郎
喜四
町長や委員等が各方面を積極的に訪問した結果、
ようやく明るい見通しをつけることができた。同一〇月地鎮祭を行い、秋田市堀井組が工事請負し翌五年二月上
鹿角時報
棟式、六月から本校舎へ移転し授業を開始した。総工費六万七、一七八円余であった(
)。
による
なお高女建設にともなう寄附金の継続年期と収支表については、次の第六表の通りであった
第6表県立高女建設寄附金継続年期及支出方法収支計算表(花輪高校『創立五十周年記念誌』より)