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かくて五年一一月一〇日、稗方県知事臨席のもとに晴の落成式が挙行された。学校の祝賀行事とともに、当日
は小学生の旗行列、一般の仮装行列、舟場道青年団の郷土芸能大会などがあって、町は祝賀気分に湧き立った。
あかね
昭和一三年同窓会館(
)の落成、同一六年校舎二教室増築、一七年学級増が認可され一年が二学級編成と
会館
なるなど逐次充実の歩みをつづけた。
鹿角工業の開校
〓和一六年の年が明けるとともに、鹿角にはにわかに中等学校設立の声が高まってきた。
初めに具体的な提案をかかげたのは毛馬内町で、皇紀二千六百年記念事業として同町陣場
に敷地を予定し、経費三〇万円は鉱山・地元・関係町村で一〇万円ずつを捻出するとの案であった。次には鹿角
郡町村長会が男子中等学校創設期成同盟会を結成し、所要経費を二四万円と見積りこれを鉱山・地元・関係町村
で負担するよう立案に入った。この両者に次いで花輪町有志も自町にその設置を図ろうと動きだし、はしなくネ
三者争奪の形で動きだした(
秋田魁新報、昭)
一六・三・六付
〓。
諏訪
この動きに対し、小坂町長(
佐藤甚
太郎
)・大湯町長
一はこのままの状況では実現は図られないとして、三者
綱俊
の大同団結による鹿角中学設立をめざし、建設地は県当局の裁定に一任すべきであると主張した。その後錦木村
では、郡の中央部であるとの認識から、産業組合幹部会を開き毛馬内駅付近の原野七反歩・耕地一町歩余の敷地
を寄附することとして鹿角中学誘致を申合せた。
浅利
その年八月、さきの町村長会による期成同盟会の会長であった花輪町長
がにわかに会長を辞任し、代
佐助
わりに副会長の小坂町長が会長となった。この会長交替は、花輪町に建設を考えていた前会長が、敷地は県に一
任という方針に固まったことで苦境に立たせられたからであろうと噂された。間もなく毛馬内町では鹿角中学設