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大里

立実行委員会を組織し、会長に毛馬内町長

副会長に石川正治、奈良正太郎、顧問に山本修太郎ほか、

清三

前町

実行委員長に伊藤良三(

、幹事長に勝又清毅を選任した。直ちに県立鹿角中学校建設趣意書を作成し、各

町村役場や鉱山、有力者を訪問し協力を求めることとなった。はしなくも再びこの問題は、花輪・毛馬内両町の

対立をみることになった。

毛馬内町では、委員たちの努力によって九月中に町有力者の寄附金一三万七、〇〇〇円取纏めの見通しがつき、

会長内藤

同町私設奨学会の木鐸会

)でも奨学資金から一万円、さらに不足分は同町有財産の森林処分に頼ること

練八郎

とし、県への具体的な交渉に入ることとした。

しかし鹿角中学創設問題には、いくつかの暗礁が横たわっていた。まず一六年県会において「鹿角郡花

輪町に県立中学校設立の件」についての意見書は、案件として議決をみたが、時局急迫のため県計画に上提

の機会を得ないままに終わった。一七年、国の方針として男子中学校の新設を認可しないことがわかり、花輪・

毛馬内ともに実現運動に一頓挫をきたした形となった。九月、毛馬内では協議会を開いて、すでに纏まった寄附

申込一三万円余の扱いをいかにするか、中学校に代わる工業学校の建設を考えてはどうかなど、意見の集約を行っ

かねて県学務部では技術者養成の観点から、県北鉱山地帯に採鉱・冶金を主体とした工業学校新設を考慮して

いた。一〇月、毛馬内町ではこの工業学校誘致に方針を転換し、伊藤前町長を創立委員長に挙げ、さきの寄附申

込者の諒解工作に入った。

た。

県は毛馬内に工業学校を設置することを決定し、文部省の認可を得て、一二月県会に追加予算を提案した。同