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小学校高等科を卒業した者のために既に昭和一〇年から青年学校が設けられていたが、同一四年四月から男子

に対してはこれを義務制とした。青年学校は男子五年・女子三年の教育年数であったので、男子は一九才まで就

学を義務化され、二〇歳からの徴兵制度につづく、全くの戦時体制となった。

尋常

育年学校本科の入学資格は高等科卒業であるので、中学校に進学しない初等科

)卒業生は、青年学校に

すすむ前段階として必ず高等科に入らなければならなくなった。従って高等科は実質的に義務制となり、六歳か

ら一九歳までの一三年間が義務教育となったのである。

中等学校については昭和一八年に、国民学校の教育を基礎に皇国の道を修め、おのおのその本分をつくし皇運

を扶翼し奉る中堅有為の国民の錬成を完うする学校である、と位置づけられた。従来の中学校、実業学校、高等

女学校を一括して中等学校とし、その全般の教育刷新を図ったのである。また中学校の修業年限は昭和一八年〓

一年短縮されて四年となり、非常時体制がとられることになった。

国民学校令は小学校の名称を変えたばかりでなく、その内容と方法についても大変革を目指していた。その第

条に明確に示されたとおり、目的は皇国民の錬成にあり、内容は皇国の道、方法は錬成であった。初等普通教

育における基礎的錬成の内容としての教科は、国民科、理数科、体錬科、芸能科、実業科の五つに組みかえられ

た。国民科は皇国の道の中核で、修身・国語・国史・地理の四教科があてられ、理数科は理科と算数、体錬科は

〓操・武道であった。芸能科は音楽・習字・図画・工作・裁縫・家事で、皇国民として高雅な情操と芸術的技能

表現力を内容とした。

国民学校の教育方法の主なものを要約すると、次のとおりである。