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期間は長くはなかった。

終戦間近の学校

戦争の激化にともない陸海軍は、有能な兵員の養成は少年時からの訓練によるとして、小

年兵の募集に狂奔した。それは実際には募集というより各学校への強制割当であった。例

えば毛馬内小学校高等科二年生男子五六名中四五名の少年航空兵・同通信兵・同船舶兵の割当があった。校長は

伝統ある毛馬内小学校として五〇名の応募を是が非でも確保してもらいたいということで、担任教師はそれから

一カ月家庭を訪問し応募を勧誘したが、五〇名というのは全く無理な数字であった。

毛馬内小学校の場合高等科はほとんど授業停止で、朝二時間授業すると肥桶をかついで上野の開墾に出た。ま

た出征軍人の家庭の農作業等の奉仕活動に出た。高等科二年ともなるとその労働力は大きく、農家ではその労を

ねぎらい大きな握り飯を一個宛出してくれたが、飢えた学童にとっては大きな楽しみであった。また校庭や運動

会場はすべて掘り起こされ、畑となって大豆や馬鈴薯の増産にあてられた