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第二節郷土の文化

一、文化の向上

新聞・会誌

大正の自由な風潮は、封建色のつよかった鹿角にも、青年たちを中心とした濶達な思想交流の

場を広げていった。

大正五年に誕生した花輪青年会

会長大

里周蔵

の会報「花輪青年」は、第三号まで謄写刷であったが、第四号から

大正一〇

ようやく活版になり、月刊の紙面は新鮮な主張や論説に溢れていた。その第二〇号

)から「青年乃鹿

年六月

角」と改題したが、その理由は、本格的に時事問題を論議報道する時、青年会誌の形式では法に触れるので、新

聞紙法に基づく発行にかえるということにあった。「青年乃鹿角」は一二年五月からタブロイド版四ページ、目

二回の発行にかわった。昭和二年八月には、紙名を「青年乃鹿角」から月六回の「鹿角時報」に改め、鹿角時〓

社を発行所とした。以後編集発行人は村山栄司・佐々木惣次郎・川村薫と交替するが、実質はほとんど川村薫の

執筆編集であった。

大正五年、花輪にはもうひとつ愛友団の機関誌として「愛友」が生まれていた。「愛友」は積極的に政治と思

想を論じ、同一三年新聞紙法による発行へかわるやいっそう社会問題との取りくみを強めたことは、さきの第五

章第一節に述べた通りである。また在京の青年達の手に成った会誌として「鹿友会誌」のほかに「奔流」があ一