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た。「奔流」はともに大湯出身、秋田工業卒業の玉井三郎、赤須通一の編集発行で、大正三年から同一二年まで
に六六号を数えていた。主として哲学思想、芸術方面の記事をもって充たされていたという。なお青年会機関誌
としていち早く活動したものに、柴内青年会の「柴内青年」があった。毎月一回の発行で、一二年七月すでに一
三号をかぞえたがその後の消息は明らかでない。
初期の言論活動は、ほとんど青年会か小学校をバックに行われており、後者の最たるものは明治四四年八月第
号の毛馬内小学校「同窓会誌」と、大正一二年八月発足の花輪小学校「同窓会誌」であった。ともに年一回の
発行ながら、評論から論壇・紀行詩歌に至るまで、さながら総合雑誌の観を呈している。毛馬内は黒沢小二郎の
編集、花輪は委員として関村幸次郎、井上領吾、村田信一、石木田善蔵、吉田秀夫、桜田義雄らが活躍している。
そのほか新聞発行の隆替ははげしく、大正一四年一月毛馬内から「秋田時報」
(
編集黒
瀧邦吉
の創刊をみたが続か
ず、昭和二年一二月花輪から「鹿角新聞」
王幹木
村定治
)が発刊されたものの、翌年三月一〇号で廃刊となった。同
五年一一月小坂から「東北民報」、つづいて六年から「十和田タイムス」
主筆中
村次郎
)が発行された。最も購読者
の多かった「鹿角時報」は、一四年一〇月戦時の用紙統制によって終刊のやむなきに至った。
文化の殿堂
入正五年六月、天皇即位の大礼奉祝記念として、花輪横町に郡公会堂が落成した。堂々たる木
迫洋小屋組で、中央玄関と両翼の突出部に急勾配の三角屋根をもち、ホールに大シャンデリア
をそなえた洋風建物である。以後数々の行事、催物、音楽会、祝賀会が開かれ、郡制廃止ののちは一二年九月県
立図書館花輪分館になるなど、ながく地域の文化向上の中心施設として役立つこととなった。
花輪における最初の興行場として、大正二年花輪袋丁に大正座が建った。諸興行のほかに青年会や政党の政談