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大正二年一一月、花輪町において鹿角俳句大会が開かれた一

秋田魁新報、大

二・一二・八付

○選者は佐々木北涯

久太郎

山本郡

魚である。

)と小

北涯選小魚

小魚選

困に耳敬つ猟の野黄栄えて村子木枯や掲中に溶くる鉱の波北涯

席画せし夜の悔残る木枯に快天破風の鬼に媚ぶ木枯の門柳胡・

起臥自在俳論に花咲く炬燵小蓉此郷の民を炬燵に起たしめん奇〓

奇渓

村子は豊口清志、小蓉は黒沢小二郎、奇渓は汲川鉄太郎、他に稚草

)、大涛、緑子など、北涯が伴った胡

角については未詳、会する者二一名。

翌大正三年三月、大湯村荒瀬での鹿角俳句大会には、折柄教育会講師として来合わせていた芦田恵之助も出席

した。会する者二四名だった。この頃小魚に自己の俳句を鹿角全域に及ぼそうとする心積りがあったのだろうか。

しかし花輪にはようやく飄々一

小田島信一郎

のち十四郎

)と樹人(

小田島

次郎

)のもたらしたホトトギス系の俳句が、根を張りつつ

あった。

小魚の句は碧梧桐選の『日本俳句鈔第二集』序文に「献上蕗跡絶えて住む夏野かな」が引用されるが、師碧〓

青年乃

桐が散文的表現と伝統の季題尊重から遠ざかる傾向から難解に陥ったと同じ道をたどったように見える(〓

第三一

佐次

年角)。大正一一年、小魚が花輪の宮城一杉

)に示した左の句もその例である。

鹿角

桑の葉散るのみの山禽呼びかわし

蜘蛛の糸が流るゝ慈しみの羽虫は羽搏ち

豫後の緩歩が我畑豆も枯れます

我が踏む畝々よ崩れ総身にうくる陽