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雨の梅となりけり海の見ゆる寺樹人落葉踏んで母健かに海晴るる飄
飄々
東京音楽学校卒業とともに小学校教師となった樹人は、この頃帰省の度毎に同窓会などで誰彼となく俳句を奨
新年
めた。大正六年花輪青年会の「花輪青年」第六号
にあかね会句集がみえるが、同句集は四年からであろ
号
う。
森女
漁の小屋並ひけり氷る浜甲子郎秋風に報捨の小銭さぐりけり木
坑道の出口美しき氷柱かな杏里
老人の圍む火鉢や寺茶の間鴨一
似火鉢を今日も磨きて暮しけり小兎軒並に干菜かかりて冬近し十四郎
道に逢ふ車夫に火元を尋ねけり瀧村北風に辻占の声冴え渡る福
福水
甲子郎は関村幸次郎、杏里は大里周蔵、小兎は宮城佐次郎のち一杉、瀧村は村山隆太郎、森女は渡部トミ、鴨
周蔵
女は大里シギ
福水は佐々木綱文、ほかに愁雨大里秀助。
夫人
樹人はホトトギスに出入りして渡辺水巴と知り合い、大正五年の「曲水」創刊以前から結びついていたと思わ
由
波津
徳
六
れる。小田島家は父雲楼一
)母初女
〓)兄艸于
)妹森女(〓)弟胡六
)という俳人一家であった。
義
子
蔵
郎
森女は「曲水」に大正六年二月から出句し、「月見えで明るき雪や樹々の風」によって水巴に認められた。
「曲水」所収の句を、青年乃鹿角第二九号
大正一一
年三月
)に曲水句調として紹介したなかに、
昼顔や蚊帳に吹きよる草の雨艸于落葉掃いて天地の秋に一人かな森4
芽を摘みて枝放ちけり夕空に摩山水霧雨の高草に鎌投げ入れし一
大雪や夜具深くゐて児にこやか胡六
がある。森女の曙村に曙女会を創始し婦人会運動を展開した積極性と芯の強さは、次の文にも現われている。