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曲水
大正末年から昭和初年にかけて花輪の有力な俳人は樹人を先達として艸于、胡六、森女、一杉
摩山水らで「曲水」に投句していた。森女は「曲水」誌上もっとも注目される女流に育ったが
昭和五年五月四一歳で急逝、同七年五月「森女句集」が義弟不亡渡部全次雄によって刊行された。同句集には師
渡辺水巴の序と佐々木摩山水の追悼記が収められている
○香たくや障子の外の落し水森
吹雪去りし後の月夜や涅槃像森女香たくや障子の外の落し水森・
森女
坂帳にゐてふと山の香の淋しさよ2円
御霊守りて果てもなく行け花吹雪一
森女句碑は一一年恩徳寺境内に建立され「秋草のみな花つけし淡さかな」の句を刻んでいる。建碑の記念に編
盛
まれた「花夘つ木」には、水巴の追悼文と中島耕一、宮野小提灯
の文および追悼句会三九名の句が収めて
岡
ある。「森女忌」句会は七年から営まれてきたが、その後物故俳人のふえたことにともない四〇年頃より「万華
忘」として、総合の忌句会が開催されている。
大正
「曲水」には、森女にやや後れて活躍した、摩山水佐々木仁がいた。「鹿友会誌」第二〇冊(
)の「無月会
七年
詠草」には摩山水の句もみえるが、無月会は大正年代十四郎と樹人の東京における句会で、誰彼となく来合わせ
たものが参加したらしい。「林出でて林の奥や閑古鳥摩山水」。胡六と同年の摩山水は、やはり樹人に誘われ
て俳句を始めた。渡辺水巴に可愛がられ樹人、苔雨、長頚子
厚
海野
)等とともに早く幹部級にのぼった。高知県
立農学校で教鞭をとっていたが、昭和一一年四四歳、かの地に没した。水巴が「曲水」物故同人の句集「みそ萩」
を刊行したなかに「霧の海」として摩山水の句が三一句収められている。
山国は木の芽供へて雛かな
摩山水