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ほか湖山、雨香、艸于、三橋、水鳥子、青蛾、と金、八重子、照子、一杉、六食、栄子、胡六、悦女、新子、

不醉、仙馬、鐘永らで、短評を艸于が付し、野人は「殊に其短評に至っては同氏の抜目なき観察と詩的豊富な名

文にして敢て他の追随を宥さざるもの」と述べている。

なお「花輪俳談漫筆」は、この九年をもって終る。この間、山紫と初女の二人が故人となった。山紫は小田島

水鳥

礼七、兄に富四郎

〓)がいる。

巻月や町の屋並の影歩む山紫差し水に押され〳〵し金魚かな山

此頃の見つけ日和や大根引初女蝉なくや生味噌つけて生胡瓜初

この後、明治から活躍の俳人は旭峯花田栄太郎と如竹関善次郎の二人となった。

昭和五年秋田市斉藤蕗葉の創刊した「玖魂」で、湖山木村裕太郎が活躍している。ほか投句者に渡辺渡洋、柳

瀬暖雪、阿部桜草、大坪虚空、中村草月、伊藤秀七、小田島涼月、池田皐月の名がみえる。

夕東風に湖ふくれ来る波止場かな湖山

夕東風に湖ふくれ来る波止場かな湖山春眠の水欲しく夢覚めてをり湖

六年一月、増田手古奈主宰「十和田」が青森県大鰐から刊行された。手古奈の一一月花輪へ来る前に、すでに

花輪の艸于以下尾去沢の新田郊春、暖雪、逸見未草、高田虹谷、可山、秀七、工藤華車、渡洋、涼月、蕗雪、福

耳、皎雨、防風、百舌等が句を寄せている。そのうち郊春、未草、虹谷は水原秋桜子の「馬醉木」の作家で、

秋桜子をして秋田の三羽烏と言わしめるほどの活躍ぶりだった。「十和田」は、以後昭和の年代を通じ、鹿角の

俳人にとってもっとも深いつながりをもつ俳誌となる。つぎの青蛾は小田島由男、ほかに小田島新子、鎌田露山

もいた。