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畏くも秋日にやけし御額艸
御眉の時雨の雨に濡れ給ふ胡六
山峡の辛夷は咲けり去年のまま雨壬
ハラソルの飽かず立ち居り句碑の前一井
森女忌や紙雛の句のなつかしき昌子
市の日のおこそ頭巾は若かりき昔也
昔也
ほかに虹谷、青蛾、蕗子、山紫、湖山、純、樹人、葦井子、悦女、一杉、逸歩、可山、華車、虚無、草杖、静
蓮、鈴蘭女、松籟、新子、水鳥子、三橋、青石、聖夜、石鳥、と金、福耳、不醉、未草、むねを、夜汐、八重子、
野人、露山、涼月、六食、蕗雪。
そして胡六は「御覧のように誠に絢爛豪華な花輪俳句会の姿であった」と言葉を継ぎ往事をなつかしんだ。こ
こに見る俳人のうち湖山と露山は毛馬内からで「俳味」昭和一〇年九月号前後に句が見える。当時の花輪俳句会
に参加し、会が終えると夜道を歩いて毛馬内まで帰ったものだという。
露山
また同じく「俳味」一一月号に、大湯の沐雨も句を寄せている。「洪水ひけて河原となりぬ天の川沐雨」(
沐雨は米田泰次郎、地元大湯で浅井小魚の組織した凍雲会に参加、のち『小魚句集』第一、同第二を編んだ。
一二年、旧派生き残りの如竹関善次郎、旭峰花田栄太郎がともに没している。如竹は撫松と号し、謡曲、和歌、
書にも達していた。旭峰は花輪最後の文人といわれ、俳句のほか和歌、漢詩、都々逸と、その多才ぶりは独力で
発行した文芸誌「かづの」
明治四
五年
)にみることができる。
昭和一〇年代後半、戦雲急をつげ俳人にも戦地に赴く者が相次いだ。前掲の小田島青蛾は病を得て帰還したが、
阜杖野中幸蔵は二〇年五月戦場に没した。草杖の句の初見は、一〇年秩父宮奉迎句会の「薄き日の庭に薫るや菊