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)一
の花」、次いで森女句碑記念句会に「源五郎浮ぶあたりや蓮の花」がみえる。また句誌の「野の声」(
県
愛知
五年新年号の鈴木宗石選に、
籾摺にいそしむ村の小春かな草杖傘さして楫取る人や舟時雨草
一九年六月の県俳句作家連盟『みちのく句集』に出征作家として抄されており、ほかの鹿角関係の句と共に抜
く。
兵の靴大きく春の土を踏む草杖土器に澄む神の灯や今年酒樹・
雪山に挑みて木炭を運びけり湖山坑内に戦士と呼ばれ水涕す投
投石は土田運之助で尾去沢の人、ほかに艸于、悦子、青蛾が入っている。
大正の歌壇
村(
明治の末から、若山牧水、前田夕暮に代表される自然主義的歌風が文壇に流行していた。田山
現二戸郡安
代町田山
)の峡花八幡源夫は、前田夕暮に傾倒して白日社に属し、大正九年詩歌誌「だん
ぶり」を発刊した。一時中断していたが昭和二年一一月号から復活している。
鹿角から「だんぶり」に作品を寄せたのは、詩の佐藤秀雄、迷川高瀬儀平、短歌の中島耕一、青山完、村田信
一、佐藤秀雄、工藤利喜造、千葉曉水、俳句の石ケ森一芦であった。
朝まだき掃き寄せられし庭隅の落葉は露にぬれてゐるなり中島耕
立上る鉱山の毒煙見入りつつ今日もさびしく暮れにけるかな千葉暁水