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はたらきて得たるわづかの給料にぎり冬の夕をかへり来にけり村田信
大正八年八月、秋田魁歌壇
遠藤桂
風選
〓)に露星高杉重右衛門の「鹿角むらさき」と題する八首一連が載った。
れに選者も和するという異例の扱いをした桂風は、大正期の魁歌壇を担当し「県内の新進歌人にしてほとんどそ
の薫化を受けざるものはない」
安藤
和風
)といわれていた。
今もなほ京雅人の恋語るむかしながらのかづのむらさき露早
露星
むらさきを姉にあかねを妹になぞらへし代を今日にして恋へ円
天正の遠き昔ゆみちのくに染めしむらさき都にほこらむ寄紫根、桂〓
酪星は尾去沢の生れ、村会議員から県会議員、さらに町長を一期、農協組合長も歴任した。与謝野鉄幹に私寂
した師の桂風と同じく、露星の短歌には明治のロマンチシズムと生活派短歌の色彩が濃く、郷里の伝説に発想し
た短歌は人々の感傷を誘い、昭和六年作詩の花輪小唄には、小田島樹人が曲を付している。
入正一二年三月の文芸誌「草の実」は、毛馬内の「ほそぬの」と花輪の「暁星」を合わせ、中島耕一の努力に
よって発行された。「ほそぬの」は「青葉」を改めたもので、また「暁星」は村山守太郎、阿部松三郎、立山周
の三人の会であった。草の実詩社は同年の秋、第一選集「惑星」を出した。草の実短歌会の詠草は、一部青年乃
鹿角紙に掲載されている。同紙大正一三年前期のものに、
此の家に父あり子ありおのがじしものを思へば寂しき此の家中島拙
石垣に長き影投げて倚る友の家出を語る春浅みかも山谷昌男
病人の叔母はも悲し細りつる腕を静にわれにのばせし松本源太郎