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一杉宮城佐次郎は小学校教員、昭和五年から花輪小学校々長、のち『花輪町史』を著した。
『垣山』は第三歌集、昭和五年刊。編集は佐藤秀雄。
夜をこめて雨あたたかき初冬の明け方にして雷をきくかも赤城鹿1
赤城鹿人
おのがじし生くる命の尊さやトマト畑に夕べ来て見つ山野芳m
山野芳明
兎沢権四郎、工藤専三郎、柏田仁、長沢元らが目立つ。赤城鹿人は赤坂文弥、この年、青森へ去った。アララ
キの堅実な詠みぶりで、従来の憂愁と感傷を歌った花輪短歌会の歌風に変化が見られるのはその影響であろう。
宋四歌集『堤防』は昭和七年刊。安保芳雄編。出詠一五名は、四歌集中、もっとも少ない。川村喜久子はキク、
唯一の女性で鹿角時報に健筆をふるった川村薫夫人、高屋新次郎は、四年に赤坂文弥作詩の花輪小学校々歌を作
曲している。
ぬくしとて吾子のはくなるこの足袋は、祖母が手づくりの綿入れし足袋川村喜久子
父母のはさに稲乾すかたはらで落穂拾ひを競ふ兄弟高屋新次郎
ほかに本田幸太郎、立山蕘、鈴木源之助らが入っている。
化輪短歌会に昭和三年頃に発行していた回覧誌がある。その第一回は三年四月末の「春光集」、第三集「落葉
松」、第七集「虞美人草」で、当時の若者たちのサロンであった短歌会の自由で若々しい雰囲気が窺われる
明治以降の文芸の諸領域のうち、短歌はもっとも近代化がおくれていた。県内には、大正初期の「デッサン」
秋田市、阿部
たつお編集
があり、「あかね」は大正一五年五月の創刊で、編集は能代の越後策三。その「第百号記念秋田県
弘壇総覧号」は昭和九年三月刊で、「県内各地に於ける歌人の動静」のうち「鹿角方面」を佐藤秀雄が担当して