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敬文
敬文
又)五〇曲を出版した。大正一四年に『国定小学新読本唱歌集』
)、昭和三年『昭和新曲選第六編黒
館
館
京文
沢隆朝作曲』(
)を刊行、六・七両年にわたる『童謡唱歌名曲全集』八巻には四三曲を入集している。黒沿
社
はまた教科書作りにも貢献し、昭和七年旧制中学校用『標準男子音楽教科書一-三』、翌八年高等女学校用『標
以上共益
準女子音楽教科書一-五』
を編纂した。以後一二年までの間に教師用指導書として『教授資料集成』
出版社
男子用三巻・女子用五巻、さらに『小学校唱歌教授資料集成』六巻を刊行している。その上一二年に『高等小学
校唱歌教科書』一三年に『師範二部音楽教科書』を完成した。
四年には東南アジア音楽調査、一六年タイの楽器調査、一八年台湾高砂族音楽調査を行い、その調査報告は
のちに黒沢学説とよばれ、国際的にも大きな反響をよんだ。戦後は『世界音楽史』『東南アジアの音楽』『世界
宋器大事典』『台湾高砂族の音楽』『音階の発生よりみた音楽起源論』などの名著をつぎつぎと著わしている。
川村学園短大教授、早稲田大学や東邦音大講師、文部省検定図書審議委員会副委員長などをつとめたが、六二年
に九二歳で死去した一
武石佳久「黒沢隆朝・その人
と業績」、同「黒沢隆朝」
)。
巾の時報午後九時オルゴールの「お星様」は、大正五年曙小学校に奉職した折の作詞・作曲であった。
陞朝の二男真澄はウィーン国立音楽院に学び、ウィーン歌劇場第一コンサートマスターを経てウィーン市立音
宋院教授となる。平成三年、東京津田ホールで開催の「可愛い童謡コンサート」にウィーンから駆けつけて出演
更に同四年、鹿角市市制二十周年記念の音楽会に出演し、感銘を与えた。