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のの他にも、「神社由緒について」「境内の制限坪数」についての神社局長通牒が、府県知事宛に出されてい

る。神社境内の制限は社格(官幣社・国幣社・県社・郷社・村社・無格社など)により、内務省令第一二条で旦

社一、五〇〇坪・郷社一、〇〇〇坪・村社七〇〇坪・其他五〇〇坪となっていた。鹿角の場合実際には、郷社の

月山神社や幸稲荷神社のように一万坪を越えるところもあれば、村社でも百坪足らずのところもあった。

また、明治四三年より進められてきた神社合併の結果、大正二年には鹿角で郷社二社・村社二七社・無格社

九社の合計四八社になった。さらに九年には郷社二社・村社二五社・無格社一五社の合計四二社に減少した。秋

出県全体で約三、四〇〇社が合併し、鹿角では一八〇社が合併している。ただ、ここにきて反省も出ており、同

年九月一九日付の秋田魁新報に次の記事が掲げられている

由緒来歴又は村落住民の敬神観念をも深慮せずして、十数年来から各地方の神社を所謂「格」のある村社以上に合併しろ

といふお布令で地方庁以下では深く其精神を理解せず、主として自治の出来る即ち経済上の立場から積極的に各町村の神

社を合併して「数」の上に於いて各郡当局者が神社整理の功名を誇つた結果、色々悲喜劇が生じて精神を失つた人形のや

うな現象を呈したものさへあるが、合併してから分離することも出来ないので、今日尚ほ在る七百二十三社の無格社は慎

重にするさうだが、(中略)今後は神社に関する取扱いは慎重にすると共に敬神思想養成に関しては出来るだけ努力した

いと考へてゐると某当局談。

なお、全国的には明治三九年一二月末に一九万〇、二六五社あったものが、大正一〇年には一一万五、三二八

祉となり、約四〇パーセントが合併したことになる。秋田県では七〇パーセントの合併率であるから、全国でも

相当高率であった。その中でも鹿角では、忠実に当局の達しに従ったことがわかる。

この神社合併により花輪町では明治四〇年に三〇社以上(境内社は除く)あったものが、昭和一五年三月まで