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た。

に郷社幸稲荷神社と村社神明社・村社八幡神社(字前平)や無格社稲荷神社(字陣場)・無格社駒形神社(字小

沢田)・無格社駒形神社・無格社小沼神社(狐平字向畑)・無格社桜山神社だけになってしまった。しかし、こ

れは、合併がもっとも進んでいない例である。鹿角でもっとも徹底して行ったのは、七滝村で、高清水の村社八

幡神社に村内の村社・無格社など二八社を合併して七滝神社とした。毛馬内町でも月山神社にほとんどまとめら

れた。これに次ぐのが尾去沢村の村社八幡神社と両社山神社の二社、大湯町の草城神社(元稲荷神社)と神明社

の二社などであった。ただ、実際には合併されても元の社殿は、取り壊されないでほとんどがそのまま残ってい

内務省からの指令により、県では神社の財産の整理を行い、財産造成を行うように指導されている。財産造成

の能力の無いところから、合併が盛んになされた事情もあった。しかし実情は、合併された神社の多くは小規模

なものがほとんどであったので、財産の増加に結びつかなかったが、町村の神社に対する経費の負担が少なくて

済んだ。鹿角の無格社一五社は、悉く財産を有しない神社であった。

神職にたいしてもさまざまな規制が加えられたために、その数は大正年間までにかなり減少した。その原因は、

明治初年の社寺に対する上地による経済的なものや世襲の禁止、試験制度による神官任用制度の導入等があった。

世襲の廃止により一般から人材の登用を求めたが、県内では官吏から転じた者の外はほとんど無かった。

大正一一年九月、秋田県では県社以下神社の社司・社掌の候補者は、氏子総代或いは崇敬者総代の推薦を必要

とすることを定めている。この事例として、昭和一一年六月二一日付鹿角時報に次の記事がある。

昨年黒澤隆朝氏より、町長に黒澤家として神官を継承する人なきをもつて他に適任者を求められたき旨申出があつたの