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で町に於ては郷社、村社の氏子の総代と打合せの上元柴内小学校長奈良富之助氏に就任方を慫慂した所承諾を得、同氏は
過般秋田市に於て祭式祝詞の講習を卒へ帰町されたので氏子総代より神官任命方を知事に申請の手続きをとつた。
氏子総代は、「各管内社寺総代人ノ儀、氏子、檀家中(氏子、檀家ナキモノハ信徒)、相応ノ財産ヲ有シ、衆
望ノ帰スルモノ三名以上相撰ミ、戸長役場へ届出サセ」
明治二四年五月内務
省訓令第八号改正
)ることになっていた。任期は三年で
再三当撰スルモ妨ゲナシ」とされていた。この氏子総代の役割は、神社の公式の書類に連署したり、財産、会
計の処理に関して責任を持つことにあった。
大正一二年頃には鹿角の神職は、郷社社司一人、郷社社掌一人、村社社掌六人のわずか八人に減少している。
この内、本務の神社から俸給手当を受けている者は七人で、一人だけは受けていなかった。
大正三年三月、沖縄県を除く各府県に神職会がつくられ、全国神職会の開催もみている。また各郡市ごとにも
神職会が組織されている。昭和一三年当時の鹿角神職会の名簿は、次の様になっていた。
県社月山神社社司樋口定三(毛馬内)県社月山神社社掌津島良太郎(大湯)県社月山神社社掌和田鶴治(毛馬内
尓社幸稲荷神社社司奈良富之助(花輪)村社大旦霊貴神社社掌安倍悦人(小豆澤)村社大旦霊貴神社社掌安倍義恵(小豆澤
囘社八幡神社社掌海沼寅吉(尾去)村社神明社社掌森山廣見(大湯)村社稲荷神社社掌津島正久(大湯
村社八幡神社社掌津島良助(大湯)村社八幡神社社掌津島新八郎(大湯)村社稲荷神社社掌金沢盛(夏井)
村社菅原神社社掌桜田勇太郎(松館)村社出羽神社社掌佐賀直也(小坂)村社神明社社掌安保勝弥(柴内
社格昇格運動
明治四〇年県告示第六号により、郡費をもって神饌幣帛料を供進する神社として鹿角では幸
稲荷神社と月山神社が指定された。その金額は、大正二年の省令によると郷社一社に付金拾