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円、うち金参円神饌料・金七円幣帛料とされ、翌年から祈年祭・新嘗祭にも神饌幣帛料が供進されるようになっ

た。

昭和九年には県から市町村に対し、予算の科目に供進金の項を設けるよう通牒をだした。花輪町の昭和一二年

度の予算書の、歳出経常部の一款に神社費三五円、歳出臨時部の一二補助金の中に神社費三五〇円が、計上され

ている。同年の宮川村の予算書でも、一款の神社費一九五円の内、神饌幣帛料(神饌料一六円・幣帛料四四円・

雑費三五円)と供進金一〇〇円を計上している。

なお、この神饌幣帛料を年三回のお祭(例祭・祈年祭・新嘗祭)に供える幣帛供進使は、社格により異なるが

村社の場合は町村長が行った。『関直右衛門伝』所収の「関日記」の昭和一五年五月一日の条〓

小豆沢大日堂安倍神官を訪問、神社祭式につき教授を受けたり。村長として供進等に必要なるためなり

と記されている。関直右衛門は、この年の四月に宮川村の村長に就任したばかりであった。したがって同日記に

「(五月一二日)安倍義恵氏へ参り明後日旧四月八日大日社供進の祭式を習いたり」「(同一四日)本日旧四月

八日大日堂のお祭りにつき、村長の資格をもつて供進参拝す」と見えている。

郷社月山神社の県社への昇格運動は、毛馬内町の有力者により進められた。大正一一年から一二年にかけ昇格

願が提出され、一四年県社に昇格し、七月三一日より三日間にわたって昇格報告祭を兼ねた大祭が、毛馬内全町

を挙げて盛大に行われた。

また、鹿角総鎮守とされてきた大日霊貴神社でも県社昇格運動が起こり、昭和二年一〇月にその指定方を秋田

県当局を経て内務省神社局へ申請した。これに対して内務省では県社の資格条件として、「二千人以上の信徒を