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有し且つ毎年社費の幾分かを負担すべきもの」と回答している。これに対応して大日霊貴神社では、鹿角郡内の

町村ごとに一戸につき五銭以上の供進金を依頼し、崇敬者として扱い御札(御神札)を授与している。昭和八年

からの神社記録によると八年は三、三三九戸(岩手県二戸郡田山村を含む)、九年は二、九四一戸、一〇年は一

八〇四戸と数が減じている。この他にも次のような昇格の条件が示されている。一、社殿の屋根を葺き替え、本

殿の背面に玉垣を設けること。二、社務所を新築すること。三、手水舎を新築すること。一と三は、関直右衛門

らの尽力により完成したが、社務所は、その後の戦時体制への移行で完成にいたらなかった。結局、昇格をみな

いまま終戦を迎え、社格などの廃止される直前に郷社になっている。

2、仏教界の動向

鹿角郡仏教会の活動

大正二年末の鹿角の寺院・住職の数は、次のようになっていた。寺院は、浄土宗四・

○。

曹洞宗一七・浄土真宗一・日蓮宗二で合計二四カ寺、この他に境外仏堂も一あった。

住職は、浄土宗二・曹洞宗一六・浄土真宗一・日蓮宗二で合計二二人であった

『秋田県史』資)

料大正昭和編

鹿角に仏教界のまとまった組織の無い事を遺憾とした郡長の主唱により、大正一四年二月に全郡二三カ寺の僧

侶を郡役所に招集して、鹿角郡仏教会の設立を計った。その結果、郡長を会長として創立の準備にかかり、五月

一七日に発会式を兼ねた花祭、講演会などが行われた。

この会の目的は、会則によると「教義の宣伝」「風教の振作」「社会事業」「勤倹貯蓄の奨励」などであり、

その手段として「各町村に渡る布教」「中央より名士を聘して大講演会の開催」「其他社会的救済事業」などを