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行う予定としている。設立当初の会には、会長に郡長、副会長に長年寺の川村眞明住職、理事に花輪町各寺と手
馬内の仁叟寺、小坂の鏡得寺の住職がそれぞれ就任した。会員は、年会費一円を拠出する者を正会員とし、一時
に五円以上の寄付者を賛助会員とし、会に特に功労のあった者を名誉会員に推すことにした。
五月一七日の発会式を兼ねた花祭・講演会は、花祭の恩徳寺から公会堂までの稚児行列をはじめ、発会式講活
会約五百人の参加者があり共に盛会であった。
ただ、この仏教会の設立の時代背景に「現下の如く政府民間相策応して民心作興勤倹奨励等を鼓吹せむとする
青年乃鹿角、大正一
四年四月一五日付
ということがある。また、これより前になるが大正七年六月に開催された地方長官・
『秋田県史』資
料大正昭和編
の第一四宗教行政に関する件で
時代」(
郡市長会議の「宗教行政に関する指示事項」
宗教家にして社会宗教の改善、民心の善導に関し、漸次尽瘁する者多きを致せしと雖、時局の現状に顧み、世態の変遷〓
想到せば宗教家の活動を促すべきもの尚甚だ多し。各位は今後更に宗教家と連繋を保ち国家の進運に寄与することに努め
らるべし。
と述べられている。このように国策に乗じてつくられた感がある
その後の仏教会の活動は、一夜研修会などの各種研修会や講演会の開催、郡内全域にわたっての托鉢・伝道な
どを行っている。昭和六年になると世の中の不況・農村の恐慌などにより、会費の徴収が困難になってきた。そ
のため六年度から会費を全廃して、郡内隈無く托鉢修行を行って得た布施を事業費に当てることになった。翌年
の仏教会の托鉢の日程によると三日ずつ郡南・郡北と二回に分けて、お寺に宿泊しながら夜に伝道講演を行った
りしている。昭和七年六月五日付鹿角時報によると、