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軍のパラオ群島のペリリュー島、ニューギニア西方のモロタイ島上陸があり、わがペリリュー守備隊は二カ月以
上抗戦をつづけたのち玉砕した。一〇月ついにアメリカ軍はフィリピン中部レイテ島に上陸し、阻止しようと
た連合艦隊はレイテ沖海戦に失敗し、主力の大部分を失った。一一月以降はサイパン、グアムを基地とする重爆
撃機B〓の東京空襲が頻繁に行われる情勢となった。
戦况の悪化はいかんともし難く、二〇年一月アメリカ軍はルソン島に上陸、二月マニラ市内を占拠した。同月
硫黄島上陸が始まり、同島守備隊は一カ月激闘ののち戦死二万三、〇〇〇人をだして全滅した。本土に接近した
アメリカ機動部隊は、連日艦載機をもって関東その他各地を攻撃した。三月九、一〇日B〓による東京大空襲に
より江東地区は全滅
二三万戸焼失
死傷者一二万
)、同一四日大阪空襲
一三万
戸焼失
、その後の五月二四、二五日の空襲で東京都内の
大半が焼野原となった。四月一日アメリカ軍は沖縄本島に上陸、老若男女一般人をまきこみ文字通りの血河屍〓
を築く決戦ののち、六月二三日守備隊は全滅した。戦死九万人、一般国民の死者一〇万人をかぞえた。かくてマ
メリカ軍の本土上陸は時間の問題となったが、政府・軍部はただ本土決戦、一億玉砕を叫ぶばかりであった
動員・徴用
叛時下の農村を苦しめたものの一つに、深刻な労力不足があった。食糧増産を強制的に押しつ
けられる一方で、働きざかりの青壮年は一片の赤紙
召集
により、つぎつぎと戦場へ送られ
令状
たのである。その事情は、日中戦争から太平洋戦争へと戦線が拡大するにしたがい、年一年と顕著になり矛盾を
深めることになった。
軍需産業における労働力の確保を企てた政府は、昭和一四年七月国民徴用令を公布、施行した。これにより国
民は強制的に軍需工場などへ動員されることとなり、人々は白紙召集とよんでおそれた。初めは国民登録制によ