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る登録者に限られていたが、一年後には登録者以外の国民をも徴用できるように改正され、その範囲は無制限に
広がった。国民登録制は、同じ一四年に国家総動員法にもとづいて実施された国民職業能力申告令に根拠をおく
制度で、初めの有技能者からしだいに未経験者におよび、青壮年国民登録の名で男子は一六歳以上四〇歳未満、
女子は一六歳以上二五歳未満の未配偶者をすべて登録させ、根こそぎ動員の対象とした。戦争末期の一九年一月
には緊急国民勤労動員方策要綱により、要申告者の範囲を男子一二歳以上六〇歳未満、女子は一二歳以上四〇歳
未満にまで拡大したのであった。
右の国民徴用令によるいわゆる徴用工は、初め陸海軍関係の軍需工場にとどまっていたものの、一六年からは
民間工場にも動員され、一六年八月から一二月の徴用人員は四七万八、〇〇〇人にのぼったという。日中戦争の
長期化にともない兵員の損害も多くなり、一六年末には死者だけでも一八万五、〇〇〇人にのぼっていた。
戦争の拡大と長期化は、当然の結果として兵員と労働力の欠乏をきたし、その補給のために、学校制度そのも
のさえ改変せざるを得なくなった。昭和一七年三月卒業予定の実業専門学校以上の学生は、一六年一二月に卒業
し、一七年度からは六ヵ月短縮して九月卒業となった。さらに一八年には大学予科と高等学校の修業年限が二カ
年に短縮され、中等学校の修業年限もまた四カ年に短縮された。
一三年から開始されていた生徒・学生の勤労奉仕は、一六年からは一年のうち三〇日以内、一八年からは一年
の三分の一、一九年からは中等学校上級以上の通年動員が決定された。すなわち一九年八月学徒勤労令が公布さ
れ、学校報国隊の組織のもとに勤労期間は一年以内となった。二〇年三月における全国の動員学徒は男女合わせ
て三一〇万六、〇〇〇人、このうち国民学校高等科一二九万人で、終戦時の八月には三四〇万人を越え、死亡老