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に食糧営団が設置された。米・麦の集荷は産業組合に一元化され、農家の供出には、収穫前割当制と地区共同責
任制という封建社会に逆戻りしたかのような強行策がとられるようになった
また米価は、生産者米価と消費者米価の二重価格制がとられ、生産者からの買上げ価格と消費者への売渡し価
格の差額を国庫負担とする食管特別会計が設けられた。政府が、食糧確保のため農民の供出意欲盛上げを図る高
米価制と、国民の消費生活を圧迫しない低米価制との間に立って、そのジレンマを解消しようとした苦肉の策で
あったが、この食管制度は戦後もつづき、自由貿易の大きな障壁となった。
なお、戦争下の食糧増産と農業分野の統制強化を図るため、一八年三月農業団体法が公布され、農会、産業組
合、畜産組合、養蚕業組合、茶業組合を統合する農業会が生まれた。農業会はもっぱら供出・生産統制・労働力
統制のための機関となったが、戦後二二年一一月農業協同組合法の施行まで存続した。
米の供出制は多くの矛盾をはらんでいたが、米の生産量もまた労働力の不足、農業資材・肥料・飼料等の供給
困難から下降をつづけていた。供出米の数量は高圧的に強制割当され、完遂できない農家は家探しまで受ける状
况で、警察署長が部落農事実行組合長に「供米を拒否すれば食管法違反で検挙する」と言明したという事例さえ
伝えられる。したがって農家であってもわずかな保有米しか残らず、混食や代用食に頼らざるを得なかった。
一六年四月一日から六大都市で米穀配給通帳制、外食券制が実施された当時の配給は一日二合三勺であった。
以下に生活必需品における配給・統制関係を列挙してみる。
昭和一六年四月一日生活必需物資統制令公布
同年五月-家庭用木炭配給通帳制・酒切符制実施(六大都市)