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制価格で保たれていた物価も、ヤミ取引の横行によって高騰をつづけ、ヤミ価格が一般化し、正規の流通ルート

は完全に破綻の様相を呈していた。

戦争末期においては、国民の経済生活を守るべき配給・物価統制が内側から崩壊の度を早め、窮乏と飢餓に追

い込まれた国民は、もはや覚悟せざるを得なくなった連合軍の本土上陸・本土決戦以上に、将来に対する希望を

失い、政府や軍部不信のなかで戦意を大きく喪失していった。

終戦の日まで

しれより先、昭和一五年一一月県の第六三回種苗交換会が、花輪町に開催された。折しも紀

刀二六〇〇年にあたることもあり、第一会場花輪小学校、第二会場花輪高等女学校を中心に

連日人の波で町は混雑した。戦時色を反映し、節米展や防空展などが人気を集め、酒気を帯びた者のみられない

交換会となった。

食糧増産・産業報国の大義名分のもとに、柴平村では四〇〇町歩の未墾地菩提野の開墾に着手した。原野を貫

通する六メートル産業道路をつくり、一六年までに八八町歩を開墾する案で、一戸五反歩の責任開墾とする方式

を採っていた。また大湯町外二ヵ村耕地整理組合

組合長

関善次郎

では、これまで組合工事費の借金と裁判沙汰を嫌っ

て脱退する者が相次ぎ、耕地一二〇町歩のうち耕作されてきたのは五、六〇町歩で、他はほとんど荒地同様になっ

ていた。これを食糧増産のために、負債額から割出した一反歩当りの価格を決めて希望者に耕地配分し、各々の

責任によって耕作を行うという更生案を決定し実行に移した

一六年二月、鹿角郡農会は戦時農作物増産計画により、米作は一万石増収、苗作跡地利用の徹底、馬鈴薯栽培

反別二〇〇町・大豆反別八四〇町歩に増加、ほか青刈大豆などの増産を定めた。その遂行のため共同作業の拡充、