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一、政治の民主化

占領軍の進駐

昭和二〇年(一九四五)八月一五日正午のラジオは、昭和天皇によるいわゆる玉音放送をいっ

せいに伝え、国民は、その時初めて大日本帝国の敗戦を知り、耳を疑った。

日本が負けるということは、きびしい言論統制のもとにあったとはいえ、地方の人々の予想だにしない結末で

アメリカ

あった。八月に入ってからB〓

の空襲によって青森の夜空が赤く染まり、同一四日の土崎精油所爆

重爆撃機

撃の模様が伝わるにおよんで、日本が窮地に立たされていることは、ひとしく肌に感じとっていた。とはいいな

がら、ポツダム宣言受諾・無条件降服という事態には、しばらく茫然と虚脱感におそわれずにはいられなかった。

終戦の詔書から数日を経ずして、連合軍のグラマン戦闘機が悠々と上空を旋回しつつ、尾去沢鉱山にある捕虜

収容所へ次々と慰問品や食糧品を投下して去った。人々は実感として敗戦を思い知らされたのであった。