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員関威(
大政翼賛会郡
協力会議議長
も含まれていた。県内二二二町村長中、該当者一四四人、うち既に自発的に退職したもの
四四人であった(
秋田魁新報、二
二・一・七付
○当時の鹿角の町村長は花輪・毛馬内・宮川を除いて、ほとんど退職を余儀な
くされている。
また、教職員については、昭和二一年五月「教職員の除去、就職禁止及復職等の件」などが公布され、同時に
教職員適格審査委員会が設けられた。第一次審査数は、全国で七九万七、七八五人、最終追放決定者は、三、一一
八五人であった。鹿角郡では、村の在郷軍人分会長であった一名が不適格者に判定されている
『秋田県
議会史』
○。
総選挙
昭和二〇年一二月一七日、婦人参政、大選挙区制、制限連記制を織り込んだ衆議院議員選挙法
改正が公布され、昭和二一年四月一〇日に新選挙法による第二二回衆議院議員総選挙が実施さ
れた。明治憲法下における選挙とはいえ、男女平等の選挙権が与えられた初の国政選挙で、初の当選婦人議員は
三九名であった。本県では、和崎ハルが、一〇万余の得票を得て、四一名の立候補者中のトップ当選を果たした。
当時の立候補者の所属政党を見ると、自由党、社会党、進歩党が目立ち、その他教育民主党、東北国民党、協
同党、養正、独創、共産、日本革新各党の名も見えるが、中立が多かった。
政党の鹿角郡支部結成は、二一年七月、郡社会党支部
支部長
豊下吉治
)が初めであった。二七年になって進歩党の後
身である日本改進党鹿角支部
支部長高杉重右衛
門のち浅利佐助
が結成されている。
二二年四月、全国一斉に第一回統一地方選挙が行われた。同月五日県知事および町村長選挙、同三〇日に県会
議員および町村会議員選挙が実施された。その間に四月二〇日第一回参議院議員選挙、同二五日には第二三回衆
議院議員総選挙が行われている。