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年にわたる水不足の解消、未開発原野約五〇町歩の開田、果樹畑二〇〇町歩の灌水、畑九〇町歩の灌漑用水の確
保のため、瀬の沢川と郡壁川の合流点から、上台沢に引水し、間瀬川に放水する計画がたてられた。柴平村営一
地改良事業として、総工費四、三四一万四、〇〇〇円で、新隧道工事に着手したが、平元地区
新斗米、小平小枝
指、級の木、館
の住民は、従来の水量で足りるとして猛烈な反対があった。しかし、鶴田部落を中心とした冷水川下流地域住民
の要望によって、着工に移された。この事業は柴平村と花輪町が合併したこともあって、事業主体の引継ぎ問題
や、水利権とその負担金の問題等紆余曲折を経て、昭和三七年三月にようやく完成に至っている。
その他の各土地改良区の事業も、土地改良法の改正や積雪寒冷単作地帯の生産拡大を図る臨時措置法によって
更に促進され、灌漑排水、暗渠排水、客土、区画整理、農道のとりつけ等が行われた。
昭和二九年、秋田県土地改良協会設立協議会において、本郡から副会長理事に高杉重右衛門、監事に金沢憲司
が選任された。翌三〇年県土地改良協会が発足したが、この土地改良協会は、三三年九月秋田県土地改良事業団
体連合会が創立されるにおよんで、その事務の一切を引継いだ。新たな連合会理事として鹿角から成田元吉が選
出され、その後阿部新、戸館安太郎と交代し、戸館は五七年から副会長に就任した。
4農業協同組合生まれる
農業協同組合
農業協同組合制度はわが国民主化政策の重要な柱の一つとして導入されたものである。GH
二〇年
Qの「農民解放に関する覚書」
によれば、零細農民の救済と自作農創設、商工對
一二月
者に搾取されない保護政策、農産物価格の安定、農民組合運動の奨励などを目的に農地改革と不離一体のものと