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して農協の組織化の推進が図られることとなった。終戦直後の昭和二〇年九月、政府は勅令によって全国農業会

行を公布し、農業団体の戦時色を払拭する措置をとり、翌一〇月全国都道府県農業会々長会議を開き、「農業協

同組合組織に関する決議」を行った。この決議は、農業団体法改正案に反映され、二一年一月に施行された。こ

の農業団体法は、農業会の民主化を図り、系統農業団体の活発な自主的活動を促進するもので、その後の農業協

同組合発足までの過渡的な役割を果した。

農業協同組合法の政府原案は、二一年七月に決定されたのち、第七次案まで練り直されて、二二年一一月公布

囘年一二月施行された。その後二三年一二月政府は農協指導の指針としたGHQの「日本農民組織に関する諸原

則」を発表し、農協のあり方を明示した。これには農民団体の結成の目的、構成員の自由、協同組合参加の自由

農民以外の勢力による支配の防止などが盛られていた。

昭和二三年に入り秋田県では県農業会を解散し、各市町村には新たな農業協同組合が次々誕生していった。ー

かし、戦後のインフレなどの経済混乱により、二四年頃から農協の経営不振の声が聞かれ、二五年には貯蓄支払

停止などの組合も出るなどしたため、二六年、農協の経営刷新を国の援助によって図ろうとする農林漁業組合再

建整備法が制定された。本県では、九三組合と三連合会が再建整備を実施し、この頃から農業団体再編成が問題

となってきた。二八年には、農林漁業組合連合会整備促進法の制定により再建が一層促進されその後町村合併促

進法が、農協の合併気運に大きな影響を及ぼすことになった。二九年には農協中央会が生まれ、農協全体を代表

し単位組合の経営指導や監査を行うことになった。

このように、農協の誕生から一〇年は激動の連続であったということができる。