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県農業共済保険組合設立発起人会は、二三年四月県農業会において開かれ、鹿角郡代表に宮川村館花梅次郎が

出席した。同組合の創立総会を同年五月に開催し、理事に鹿角郡から阿部隆正が選出され、六月から郡支部長を

兼ねた。支部職員には小田島鹿次郎、小沼富蔵が発令された。二四年六月この農業共済保険組合は農業共済組合

連合会と改称され、あわせて任意共済事業

建物、農機具、

家畜輸送共済等

を行いうるように改正された。

なおその後四八年三月に鹿角郡・市内花輪町、十和田町、八幡平村、小坂町、尾去沢地区

)一円の対等合

併が行われ、鹿角農業共済組合が誕生した。由利に次ぐ県内二番めの広域合併組合であった。

5新しい農民運動

農民の要求

野後の民主運動の嵐は、一般労働者に限らず、農民の側からも爆発的に展開された。特に、終

取の混乱の中で、食糧問題が逼迫し、供出米の強制割当が農村の大きな負担となった。当初鹿

角はこれに協力的であったが、やがて供出割当が過大となり、馬鈴薯の供出割当などで強権発動となるに及んで、

供出を拒否するものも出るありさまであった。当時の供出の割当量決定権は県食糧委員にゆだねられており、供

進歩

出米に関しては強力な発言権を持っていた。その郡代表には、米田恒太郎、政党代表

)には、関威が選出

されていた。

その頃の農民の要求は、当面鹿角郡の緊急問題となっている次の事項を強調していた(

北鹿新聞、二一

・四・一六付

)。

一、牛馬飼料窮乏の今日「糠」の絶体配給制を

、玄米強制によらず白米供出制を