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労働組合が自主的に協力し合うことを約し、これまであった生産、保安各委員会を廃して、中央企画委員会を置

き、会社側一五名、職組側一五名、労組側一五名で組織して再建に当った。

翌年の二三年には、全国各地で二四時間ストを打つ組合が多くなった。小坂、花岡鉱山と共に尾労組も一一日

一五日、二四時間ストを打つに至った。

この頃には、銅生産も軌道に乗り、翌二四年には、銅粗鉱生産五、〇〇〇トンを上げ日本一の座についている。

生産を上げれば賃上げもということで、二五年三月七日には小坂鉱山とともに無期限ストに突入し組合運動も尖

鋭化してきた。それらを排除するために、ついに一〇月一八日、尾去沢鉱山労働組合から一〇名のレッドパージ

者を出している。

鹿角組合病院争議

鹿角の労働運動で特筆されるものに鹿角組合病院の労働争議があげられる。終戦後の民

〓場な多集て幾養員合致た。その妻味、医書發と特改きの其

主化がすすめられる中で、病院経営の一新を図ろうと、二一年二月一八日、昆野病院長

以下全医局員、看護婦等三十数名が参集して従業員組合を結成した。その要求は、医療施設と待遇改善の実現

院内の保守的支配の一掃であった。

具体的には、

一、事務長の即時退陣

二、会計の公開

三、医療施設の改善

四、適正投薬への薬局開放