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四、学制改革
戦後の混乱
〇半二九五七八月一五日日本所エクシルと、發す
昭和二〇年(一九四五)八月一五日、日本政府はポツダム宣言を無条件に受諾し、戦争は終結
した。誰もが神国日本の最後の勝利を信じていただけに、終戦の詔書に驚愕は大きく、国内は
大混乱となった。しかし敗戦が事実でありやがて連合軍が進駐してくるにおよんで、国民は何をなすべきかを知
らず虚脱状態となった。
政府は、敗戦日本の再建はまず教育の復興からと、国民学校初等科のほかは休止していた学校教育を再開する
ことにした。しかし大都市の学校の大部分は焼失し、多くの学童が地方に疎開していたため、混乱のつづく交通
事情からその復帰は困難をきわめ、さらに父兄は住居もなくその日その日の食糧にも事欠く有様であったため、
しばらくは混迷の状態がつづいた。また都市の街々には家を失い両親にはぐれたいわゆる浮浪児があふれ、東京・
大阪方面では餓死する者があとを絶たなかった。
さらに天皇の人間宣言(
昭和二一年
一月一日
〓)もあって戦前の価値観が根底から崩壊し、経済混乱から学校・工場等でフ
トライキが続発し、混乱をいっそう大きくしていた。
○-Eの設置
連合軍総司令部(GHQ)は占領下における軍政推進のため教育の再建を重視し、GHQの
中に民間情報教育局(CIE)を置き、文教政策を管理し指導した。CiEの中には教育の
実務や教育行政の専門家も多かったが、中には全くの素人が拳銃を片手に指示を押しつけるといった乱暴な指道
実務や教育行政の専門家も多かったが、中には全くの素人が拳銃を片手に指示を押しつけるといった乱暴な指道