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も行われた。

そして昭和二〇年の末、教育の改革に関しGHQから次の四大指令が発せられた。

〓戦時教育体制の即時中止

〓強く軍国主義・超国家主義を鼓吹し実践した教育関係者の追放

〓神道の禁止

〓修身・日本歴史・地理三教科の授業停止、三教科書の廃棄・回〓

このうち三教科書は各地方○IEが回収し、当時極度に不足していたパルプの原料とすることにした。鹿角の

場合は、回収した教科書は町村の責任で当時唯一の独立校舎を持つ毛馬内青年学校に集め、厳重点検の上直接秋

田軍政部に送ることとされ、各学校では複雑な気持ちで教科書をリヤカーに積み、毛馬内青年学校へ運んだ

墨塗り教科書

文部省は二〇年九月、国定教科書のなかで占領政策に反する箇所はこれを削除し教授しない

よう指示したが、HQから三教科の授業停止・教科書の廃棄を命ぜられると、その他の教

科書についても不適切な部分はその教授を禁止した。当初は新聞体裁のタブロイド版の教科書を発行したが、そ

れも間に合わないので、指示された箇所は教科書に墨塗りを行った。

秘時色の払拭は厳重をきわめ、○IEの係官が隨時学校へおもむいて点検し、消し忘れや故意の指示違反は厳

訓に処した。鹿角ではさしたるトラブルはなかったが、当時の土崎小学校長

小坂

出身

はこの査察で、キビガラ細

工の飛行機の処理を忘れたことと、日清日露戦争の勝利品の未処理を指摘され、六カ月の減俸と小坂小学校への

転勤の罰を受けたほどである。