テキストを表示

容は、たまたまわが国教育家の委員会の意見と大綱において一致していたからである」

かくて、二二年四月一日から六三制が実施に移されることになった。

八三制または六三三四制は、戦前の複雑な教育体系を改め、教育の機会均等の精神から義務教育を小学校六年

中学校三年の独立した学校とし、その上に三年の高等学校、四年の大学を置く新学制のことである。明治以来口

本の学校制度は第一図のごとく複雑な複線型の体系であったが、これを単一の新制度に作り直したのである。ま

た初めてわが国に教育の機会均等と男女平等の精神を実現した画期的な改正であった。特に戦前の女子の場合、

大学という名称はあったにしても法的には専門学校として扱われていたので、これで女子に対しても平等に大学

教育への門戸が開かれることとなった。

また一〇年以上は必要としたと思われる学制改革が、二三年から高等教育、二四年から大学教育と、わずか三

年で実施されている。

しかし中学校の義務化と独立校舎の建設は、経済的に破綻していた各市町村にとって全く無謀ともいうべきほ

とであった。鹿角の場合、直接戦争の被害をまぬがれたので比較的容易に移行できたが、独立校舎を持つのは青

年学校校舎を引継いだ毛馬内中学校だけで、他はほとんど小学校の高等科教室に分散し、兼務の校長も多かった。

次に、戦前と戦後の学校系統図、並びに二二年四月発足の新制小・中学校の一覧表を掲げる